2009年03月26日
オシムの言葉
新聞にインタビュー記事が載っていた。
6年間住んだ日本を、「恋しい」と語っている。
好きだったお米や豆腐、東京の高層ビルやネオン、日本
のスタジアムで観た美しい試合、それら全てが恋しいと。
こういう言葉に触れるにつけ、遠く離れていてもずっと我々
と繋がっているようで、ファンとしては嬉しい。辛口で厳しい
オシムが皆から慕われる理由が、温かい人間性を持ち合
わせた優れた指導者だからということを改めて実感する。
インタビューでは日本サッカーに対する大きな期待と希望、
アドバイスが続くが最後に我々日本人には耳が痛い一言
があった。
日本は不況といってもまだ豊か。それがサッカーに影響し
ているか?との問いかけに、
「サッカーは走らなければならないし、苦しまなければなら
ない。成功したいなら多くを犠牲にしなければならない。す
べてを手にした子供が、すべてに犠牲を払うのは難しい。
両親、環境に恵まれ、車やオートバイ、テレビなどすべてを
手にしたのならば、サッカーをすることが何になるのだね。
そういうことはサッカーとは相反するものだ」
これは一流のサッカー選手になることについて言っているが、
一流の大人、社会人になるためにも同じことであろう。
勿論「一流」=「金持ち」ということではない。真面目に努力
する姿勢、相手を思いやる優しさ、世の為になろうという意識、
より上を目指す向上心。
すべてを子供に与えてしまっては、ハングリー精神も、向上心
も生まれにくい。
以前、豊かな欧州の国々で、子供とサバイバルキャンプをする
人が多いと聞いたことがある。その中で、モノのありがたさ、文
明の便利さを再認識することに大きな意味があるのだろう。
子供には何不自由なくさせてやりたいというのが親心だが、そう
いう表面的な優しさは、成長の足を引っ張るだけだということも肝
に銘じておこうと思った。
投稿者 tamagawa : 2009年03月26日 18:30